KOGEI
2024/08/26
2、松枝小夜子さん・崇弘さん(久留米絣)
九州を代表する木綿の絣織物「久留米絣(くるめかすり)」。発祥は1800年ごろとされ、1957年には日本の国指定重要無形文化財に指定された。藍染した糸で、絵や文字を表現する「絵絣(えがすり)」が特徴で、日本における「三大絣」のひとつである。
なかでも創業160年余となる工房「藍生庵(らんせいあん)」では、松枝家が7代にわたり、芸術的な久留米絣を創作している。特に3代目の松枝玉記(まつえだたまき)(1905~1989年)は、黒に近い濃い藍色地に白の絣が中心だった久留米絣に、淡い藍色(淡藍-あわあい)や中青(中藍)を取り入れ、草木や山や海の自然の風景を詩情豊かに表現。1957年に重要無形文化財久留米絣保持者(人間国宝)に認定された。その玉記の技術と感性を継いだのが、玉記の孫・故哲哉(てつや)氏(1955~2020年)だ。
惜しくも64歳で亡くなられた哲哉氏は、祖父・玉記氏に13~15才のときに藍染を学び、のちに手織り、絣糸を自ら括り染めする「手括り」の技術を習得。24才で重要無形文化財技術伝承者に認定された。哲哉氏は光と影、風や星などを藍と白の鮮烈な「絣の光」で表現し、多くのきものファンの心を動かしてきた。
松枝家に継承されるもの
哲哉氏の死後、「藍生庵」を継いだのは、妻の小夜子(さよこ)氏。彼女は、藍と白の繊細なグラデーションと緻密な組織を用いた、しなやかな絣表現を得意とする。
「哲哉さんが亡くなってから、しばらくものづくりができなかったのですが、息子の崇弘(たかひろ)が後を継ぐことを決心してくれたので、いまは私が習得したものすべてを息子に伝えようと繋いでいます」という。
7代目を継ぐ崇弘氏は、1995年生まれ。大学卒業後、一般企業に就職するが、父・哲哉氏の余命宣告を受け、工房を継ぐことを決心。父は病床から崇弘氏を指導した。崇弘氏の日本伝統工芸展初出品作『森の光・雨音』は、日本工芸会奨励賞受賞を果たした。雨の音としずくの光をダイナミックに表現した本作は、まさに父・哲哉氏と母・小夜子氏の藍染、絣・組織など、着物づくりへの思いを存分に受け継いだ証である。
「松枝家の藍とは何か」が、父から息子へしっかりと伝わった瞬間でもあった。
自然の力を求めた地で、自然の畏しさを知る
いま、藍生庵がある久留米市田主丸は、三瀦郡大木町内にあった工房から、さらなる藍の発色を求め、玉記氏と哲哉氏・小夜子氏がたどり着いた地。杖をついて歩き回るなかで、玉記氏は「この沢の水が命」と言ったという。哲哉氏は新しい工房で初めて藍を建てたとき、「藍の力が活かされる水だ」と、大いに制作に励むこととなった。
その地を、2023年7月10日、甚大な土砂災害が襲った。
公道は土砂で埋まり、工房のなかは泥の海に。
窓に強化ガラスを使用した工房だったためか、泥が窓ガラスを破ることはなかったが、泥水は玄関の木戸を突き破って室内へと侵入し、機や糸、布、貴重な資料を台無しにした。応接間に置かれていた玉記氏のちゃぶ台が、紺屋場(こうやば)の入り口の盾となり、流れ込もうとする岩や石から守っていたという。
災害から1週間は現地に足を踏み入れることができなかった。 紺屋場の藍甕には泥水が入り、藍は流出してしまった。
藍に命を吹き込む
重機で工房内の泥を掻き出した後、崇弘氏が最初に行ったのは、藍甕の洗浄だった。「甕のなかまで泥が入っていたので、小さな柄杓で取り出すことから始めました。泥の中には藍菌に悪さをするものがあるかもしれない。繊細な藍がきちんと建つよう、甕の内側を無添加の中性洗剤でよく洗い、なんども水洗いしました」
被災から4か月後、藍生庵にある12本の藍甕のうち、まず2本の甕で藍建てを始めた。奇跡的に泥につからなかった1袋の蒅(すくも)を用いて、恐る恐る藍建てを始めたという。
「こんなに元気な藍はこれまで見たことがない。藍の力を調整する場合もあるのですが、今回はその力を抑えたくない」と崇弘氏は目を和ませる。甕の表面には美しい藍の華が咲く。藍も復興を応援している。その姿を紺屋場の神棚から藍の神様が見守っている。
「美しいもの」「愛されるもの」をつくる
いま、小夜子氏と崇弘氏は、掃除を終えた工房で次なる作品づくりを始めている。
「美しいものをつくりたい」と小夜子さんは語る。自分の表現したい一筋の美を追い求め、制作するきものは、1点1点が習作だという。「あっ、どこかで模様が合わなくなってしまった!というときは、織った部分を解きなおすこともあります」と笑うが、織り始めたら、後戻りはきかないのが、機織りだ。織りあげた部分を元の経糸と緯糸に戻すという困難な作業をしてまで、自らの美を追い求める想いが、いかに強いものであるかが伝わってくる。
崇弘氏は、きもの制作の一方で、哲哉氏の活動でもあった「アートインホスピタル」を続けている。オーガニックコットンを6枚つづれにした藍染め作品などを、久留米市内の病院からの依頼で展示している。「藍菌が人間にとって良い働きをすることもわかっており、患者さんが触れられるように、大きな間仕切りにするなど、工夫しています」
小夜子氏は語る。「愛されるものをつくることで、作り手は報われていく。作り手と受け手と。両者の思いが繋がることが、美しいものをつくる意味ではないかと思います」
松枝家のきものつくりは、糸括りから染め、織りまで、作業は自己完結だ。1枚の制作に3~6か月かかる。
帰り際、小夜子氏は、新たに建てたばかりの藍でハンカチを染めてくださった。真っ白なハンカチは、たった1回、甕に浸しただけで、深々とした藍色に染まった。私の取材経験のなかで、これほど活力のある藍は見たことがない。崇弘氏の言葉通り、藍は自ら復興を応援しているのだ。
「手を動かすことは、そこに存在すること」と、小夜子氏はいう。
取材で工房に伺ったのは、2月初旬。災害から半年をかけて整いつつある庭には、フキノトウが芽を出していた。季節は廻り、松枝家の手仕事は続いていく。
※こちらの文章は、https://hikita-ya.com/に掲載した英文の日本語版です。