KOGEI
2024/06/06
1、江里朋子さん(截金)
截金(きりかね)。
それは仏様の世界を彩色する「加飾荘厳(かしょくしょうごん)」する技法として、仏教の伝来とともに、6世紀ごろ日本に伝わった技法である。仏像の衣や蓮華座、光背などを、極細に切った金箔やプラチナ箔で表す文様で飾る。文様は、曲線を主体とした七宝文や唐草文、直線を主体とした幾何学文など多種多様で、御仏(みほとけ)の荘厳な世界を表現するものだ。
12~13世紀に仏教の広まりとともに頂点を迎えるが、仏教美術の凋落とともに、截金は忘れさられてしまう。截金に再びスポットライトが当たったのは、20世紀になってから。国の重要無形文化財「截金」(人間国宝)に認定された齋田梅亭(さいた・ばいてい)(1900~1981年)、西出大三(にしで・だいぞう)(1913~1995年)、江里佐代子(えり・さよこ)(1945~2007年)らが、茶道具や工芸品に応用展開したためだ。
桐やヒノキ、スギ、絹本に截金を施した作品は、小さいものは手のひらに乗る香合から大小さまざまなサイズの箱、額装、大きなものは幅8メートル以上のパネルや壁面の装飾までに及ぶ。
截金の技法を現代につなぐ江里朋子氏
江里朋子さんは、母・人間国宝の故江里佐代子氏から技術を継承した。「19歳のころから母の手伝いを始めました。大学では日本画を専攻していたため、母から彩色をしてみないかと言われたのがきっかけです」。やがて金箔を置く作業から截金へと徐々に学んでいく。「母のような細かな仕事は私にはできない、と思っていましたが、少しずつできるようになると、次第にのめり込んでいきました」。その後は、佐代子氏の右腕として作品制作に携わるようになっていく。
結婚・出産を経て、公募展「第58回日本伝統工芸展」(2011年)に出品。その截金飾箱「皓華(こうげ)」は日本工芸会新人賞を受賞する。截金を始めて15年以上たってからの初出品だ。「本当は前の年に出品しようと思っていたのですが自分の名前で発表することに、自信がなくて。結局1年後に出品しました」。控えめな朋子氏らしいエピソードだ。
朋子氏の代表作のひとつは香合。結び文や糸巻き、矢羽根、扇など、日本古来の形に繊細な截金を施している。どれもが愛らしく、手に取るだけで笑みがこぼれる。しかし、「小さきもの」だけに彼女の魅力は収まらない。近年は茨城県鏡徳寺の本堂内陣全体の加飾を手掛ける一方で、大小さまざまな額装作品も積極的に制作している。「現代の生活になじむ作品を通じて、截金の存在を広く知ってもらえたら」と語る。
今後はチャペルの内装などにも挑戦したいという。「截金は仏教由来ですが、どの宗教も目指すのは真理です。その美しい世界を作品を通して感じていただけたら、と思います」
自我を出してはいけない。截金は調和の芸術
「截金は、もともと仏教を崇敬する人々によって伝えられてきた技法です。仏像や仏画を加飾することによって、仏さまの尊厳さをさらに増すことが截金の本来の意義。全体の調和が大切です」と語る朋子氏は、仏師である父・江里康慧氏から薫陶を受けている。「自我を出して我流になってはいけない」と言い聞かせられてきた。自らの技術が上がれば、制作の幅は広がるが、あくまでも素材や文様、色の取り合わせの調和が第一だと、朋子氏は繰り返し語る。
朋子氏の作品は、まず作りたい形のイメージをざっと紙にスケッチするところから始まる。「京都の指物師さんが私の図面の意を汲んで3次元化してくださり、形を作ってくれはるんです。ほんまありがたいと思ってます」。柔らかな京言葉の語り口は、朋子氏の優しい「はんなりした」作風そのもののようだ。
日常でみつけた“きれい”が発想源
朋子氏が生まれ育った京都には、多くの美術家・工芸家が暮らす。なかでも人形作家の人間国宝で今年亡くなられた林駒夫氏の言葉が忘れられないという。
「蓮の花は泥の中から咲くんやで」
制作は時に辛く、自分の実力不足を嘆くこともある。「いつもどろどろしたなかで考えていて……。でも、ふっと作品のイメージが見えてくるんです」と朋子氏。普段から、あっきれい!と感動できる新鮮な気持ちを持ち続けていたい、と語る。
一軒家のアトリエは福岡市内の海沿いの住宅街にある。近くの女子高のグラウンドから運動に励む高校生の声がかすかに聞こえてくる。
淡々と、そして着実に。
糸よりも細い金箔を自在に操り、今日も繊細な仕事が続けられている。
※こちらの文章は、https://hikita-ya.com/に掲載した英文の日本語版です。